旅と史跡の記録

護国山東光寺

毛利家墓所

■概要■

元禄4年(1691年)創建された、萩藩主・毛利家の菩提寺。

総門

三門

大雄宝殿

毛利家墓所

四大夫十一烈士の墓

ガイドパネル

■見どころ■

本堂裏には萩藩主・毛利家の墓所があり、3代・毛利吉就から11代・斉元までの奇数代の藩主と夫人の墓がある。また、幕末期に亡くなった四大夫十一烈士の墓、維新志士慰霊墓などがある。

■歴史■

元禄4年(1691年)萩藩3代藩主・毛利吉就が萩出身の名僧・慧極を開山として創建。総門は元禄6年(1963年)頃の建立、三門は文化9年(1812年)の建立、方丈は寛政4年(1792年)年の建立、大雄宝殿は元禄11年(1698年)4代藩主・毛利吉広によって建立されたもの。

■ガイドパネル■

ガイドパネル(四大夫十一烈士の墓)より。: 「元治元年(1864)に勃発した禁門の変と下関戦争の敗北により、萩藩は幕府へひたすら謝罪降伏する藩論へ転換し、尊皇攘夷派(急進派)が一掃されて恭順派が藩の政権を握った。第一次長州出兵が迫る中、増田右衛門介・国司信濃・福原越後の3家老が禁門の変の責任を問われ、同年11月11日に自刃を命ぜられ、また12月25日、家老の清水清太郎も自刃を命ぜられた。 さらに10月24日、尊皇攘夷派の11人が野山獄に投獄され、11月12日に竹内正兵衛・中村九郎・佐久間佐兵衛・宍戸左馬之介の4人が、ついで12月19日に前田孫右衛門・毛利登人・山田亦介・渡辺内蔵太・楢崎弥八郎・大和国之助・松島剛蔵の7人が斬首された。 明治維新後、旧藩士杉孫七郎や杉民治(吉田松陰の兄)らは、巡視した四大夫、十一烈士の墓が各所に散在し、香花も絶えて十分な世話もできない状態であることを見聞し、明治22年(1889)彼らの招魂墓を建立した。のち明治31年(1898)には、禁門の変の責任を感じて自刃した周布政之助の招魂墓も、同所に建立された。」

■観光情報■

所在地:  山口県萩市椿東1647 
アクセス:  東光寺前バス停 徒歩すぐ 
御朱印/御城印など:  あり 
オフィシャルサイト: あり